人生はゲームかもしれない

ストレス社会でなるべく楽に生きられる方法を日々研究しています。

愛着障害と不安

安定型愛着スコアが0の私は、ASDPMSの影響でカラダやココロの調子があまり良くない時、とても不安になり易く、常に不安定な愛着の部分がより不安定になります。

 

因みに、私の愛着障害テストの結果はこちら↓

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とても厄介な結果となっております…(; ;˘ω˘ ;)

 

私の心(頭)の中には “安定した愛情” という概念がありません。

見捨てられ不安が常につきまとい、"親にされたように、この人にも同じ事をされるのではないか"という想いがあります。

(全ての二次障害の根底にあるのは、この【見捨てられ不安】ではないかと考えています)

二次障害については、今後ゆっくり書いていけたら良いなと思っているので、ここでは掘り下げません。

 

つい先日の出来事です。

「夫が何故か素っ気ない」

「晩御飯はいらない。食べたくないと言われた」

理由が解らない私は “何故素っ気ないのか” を掘り下げようとします。

「具合が悪いの?」

「機嫌が悪いの?」

「私、何かしたかな?」

これらの質問に対する夫の答えは「違う」でした。

この時、頭の中でまず浮かぶ思考は “私がきっと悪いんだ” “私の事が嫌いになったのかもしれない” です。

 

長年一緒に過ごし、この世で1番の理解者であり、信頼している夫なのに、それでも不安が押し寄せて来ます。

 

見捨てられ不安が現れると、まず“見捨てられないために、何かしなくちゃ”という思考になります。

この気持ちは幼い頃、親の機嫌を損ねた時

“良い子にしなくちゃ。捨てられない様におりこうな子にならなくちゃ”

“また殴られないように、怒られないように、良い子にしなくちゃ”

と思って過ごしていたのと、同じだと感じています。

幼い頃と似た様な状況になると、フラッシュバックが起こります。

とても不安な気持ちになり、リスカ欲が沸いてきたり…

リスカはもう何年もしていません。“やろうかな” という気持ちに勝てる様になりました)

 

普通の人がさらりと流せる様な、とても小さな出来事が、“安定した愛情が解らない” というだけで、私の心の中は真っ暗になってしまいます。

 

本当に、悲しく苦しいです。

 

自己肯定感の高い人は、安定型愛着スコアが高い人が多い様に感じます。

ということは、私の自己肯定感は最低の底くらいなのだと思います…

 

他人に対して興味の薄いASDの私ですが、夫のこととなると全くダメです。

 

“見捨てられないために、何かしなくちゃ”

この思考が強く働き、過呼吸ぎみになりながらこの日は、夜中にご飯を炊いてお弁当を作りました。

 

出来上がったお弁当を見て「なんて虚しいんだろう」と思いました。

 

こんな思いをせずに過ごせる様になる時は来るのかな…

と呆然と考える事があります。

 

愛着障害

とても深く、とても厄介です。

“安定した愛情” を理解した時、二次障害は一緒に消えるのかな?

消える事を願いつつ、どうやったら上手く付き合っていけるのかを考えながら、これから先も生きていかなければならないと思うと、残酷な人生だなぁと思ってしまいます。

 

それでも夫に出会えた事で私の人生は劇的に変わりました。

ほんの少しずつだけれど日々成長していっているのかな?と、たまに夫からかけられる

「昔は出来なかったのに、出来るようになって凄いね。」

という言葉に励まされながら、前を向いて生きてゆこう!と思わされています。